SEG

丸山真男(元東大教授)氏の英語学習論

丸山真男(眞男)氏(1914-1996)は、戦後の日本を代表する社会学者・政治学者であり、1950年から定年まで東大で教鞭をとられました。
専門書や論文だけでなく、多くの啓蒙書や評論も書かれているので、ご存じの方も多いかと思います。丸山真男は、1949年に、「勉学についての二、三の助言」という文を「大学生活」(光文社)という大学生向けの本に寄稿しており、その中で英語学習について次の様に主張されています。


"外国語をマスターするのに一番大事なことは、外国語のスタイル或いはさらにはっきり言ってしまえば、外国語の「癖」に慣れることです。それにはなんといっても多読するのが第一ですが、多読といっても実際問題としては自らかぎりがあります。そこでまずおすすめしたいのは、何でもいいから自分の実力で比較的容易に読める本を選んで、それを頭から読んでいくのです。という意味は、一々文法を考えたり、この関係代名詞はどこにかかるかというようなことを一切考慮しないことで、英(独仏)語から直接内容を理解することにつとめることです。一度読んで分からぬところがあっても、それに拘泥しないで、もう一度そのパラグラフのはじめから、少々テンポを落としてゆっくりと読み直す、それでも分からなければ更にゆっくりと読み直す。要するに大事なことは、決してひっくり返して---つまり日本語の文法に直して読まないで、原語の配列をくずさないで理解するように練習することです。こういう読み方に慣れると読書のスピードがぐっとちがって来ます。それにどういう場合に一定の語法をつかうかということも自然におぼえられて来るはずです。卑近な例を挙げていえば、butという字には「しかし」という意味と、否定をうけて「何々でなくして」という意味と、それからexceptという意味がある、というふうに抽象的におぼえたのでは、実際文章でぶつかった場合に一つ一つをあてはめてみないと分からないわけです。ところが、(英文の)棒読みをしていれば、そういう操作を経ないで、文章のつづき具合からしれそのどの場合かが明らかになり、ほかの読み方をしようと思っても、不自然でとうてい出来ない筈です。これがつまり言葉の「癖」に慣れるということです。近頃は中学生ならともかく高等学校(旧制)の学生のうちにも、フレーズの「公式」を集めたようなものを暗記している学生を見かけるのですが、あんなことは愚の骨頂で、そんな暇があったら何でもまとまった論文なり小説なりを一冊でも多く読んだ方がはるかに実力がつきます。同じ理由で、単語集を覚えるのもあまり感心しません。単語をおぼえたいなら、その単語の出てくるセンテンスを全部暗記した方が効果的です・というと大変なようですが、ちょうど音感を学ぶ際に、単音で覚えるより和音で覚える方がやさしいのと同様に、意味をもった文章として頭に響く方がポツリと単語を暗記するよりかえって容易で、その上忘れないものです。これは、私はその方はよく知りませんが、心理学的にも証明されることだと思います。"

丸山真男『「勉学についての二、三の助言』」(1949年・「戦中と戦後の間 1936-1957」(みすず書房)p376-p380)

※夏目漱石も丸山真男も「字」を今の「語」の意味で用いています。中国語で、「字」が「語」を表すように、昔の日本語でも「字」が「語」を意味していたようです。
※SEGでは、多読指導においては、「分からないところ」はきにせず飛ばして、次のパラグラフに進み、全体の大意を把握するよう指導しており、その点が丸山氏の考え方とはちがいます。「分からないところを、もう一度読み直す」ことは、精読の時のみで良いというのが私達の考えです。

※このパラグラフの後で、丸山真男は、「知らない単語がでてくるとすぐ辞書を引くというのも、実はあまり感心しません。」と主張し、さらに「辞書は引かなくても、同じ未知語に何度出くわしているうちに、その状況の類似性から意味が確定されてくる。」と述べています。正に卓見です。

(文責 古川昭夫 2005/12/22)

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